これが叙述トリックというやつかー!!

殊能将之『ハサミ男』

『ハサミ男』は日本のミステリーではだいぶ有名な作品なんだけど、タイトルと表紙のおどろおどろしさで敬遠していました。
もっと早く読んでおけば良かった。

少女を殺して喉にハサミを突き刺すハサミ男
狙ってた女の子をなんと模倣犯に先を越されちゃって、本物のハサミ男が第2のハサミ男を追うという、最初からおもしろいストーリー。

ハサミ男は誰なのか、もうひとりのハサミ男も誰なのか、殺された少女の私生活は!?とそれを考えながら読むだけでおもしろい話だったんだけど、後半のあの展開で、この作品が有名になることに納得。
これが普通に犯人判明だけだと普通のミステリーだもんね。

あの展開を最初全然理解できなくて、戻って読み返してもわからなくて、先に読み進めて読み終わって目から鱗で、そしてもう一回読み返して「うわー!じょじゅつだー!」となりました。

犯人があの人なのは反則技な気がするし、ちょっと無理もあるけど、この小説ではそのあたりは重要視しなくていいかな。

そして医師のお話はちょっとまだるっこしい。
作者が医師の言葉にこそめちゃくちゃ力を入れて哲学的にあえて表現してるっぽくて、わたしは好みではないかな。
そのあたりはすっ飛ばして読んだ笑。

名作と呼ばれるミステリーはやっぱりおもしろい!
電車の中での読書はちょこちょこ続けていこ。


真保裕一『奪取』上・下巻を読みました。





最高におもしろかった~~~!!!!!
久しぶりの一気読みです。

偽札を作って敵に復讐する話です(ざっくり)。

なにが最高かと言うと、まず登場人物がみんなかっこいい。
主人公の道郎はヤクザに全然ひるまないでむしろからかっちゃうぐらいの度胸なのがかっこいいし、頭も良くて、情にも厚い。
パソコンや機械の技術を活かして偽札作りに没頭する姿も惚れぼれしちゃうし、これはおまけだけど女にも一途。
いやもうかっこよすぎるでしょ…。

相棒の雅人もドジだけど物事にまっすぐ突き進むところ大好きだし、一度は裏切ってしまった道郎のところに戻ってくるところなんてもう泣けちゃう。

幸緒も気持ちが良いぐらいサバサバしていて、この子もまた一途でかわいい。
偽札作りに全面協力!最高の彼女じゃないですか…。

じじいのコウさんは登場シーンがかっこよすぎてですね。
あの「なにもかもお見通しだぜ」という登場の仕方に感激してしまった。
最後までワイルドでかっこよかった涙。

登場人物が魅力的なのはもちろんなんですけど、偽札作りの工程がめちゃくちゃ詳しく書かれている小説で、これがまたすごくおもしろかった。
詳しすぎて途中流し読みになっちゃったけど(笑)、やっぱりあの詳しさがないと小説に真実味が出ないし、なければならない描写だと思います。

あと良かったのは、なんといっても物語の爽快感かな。
ヤクザを打ち負かしていくところがめちゃ気持ちいいし、前向きな登場人物たちも読んでいて元気が出てくる。
偽札作りの工程を一つづつクリアしていくところもまた爽快!
ラストの終わり方も爽快で、道郎たちはお金持ちになることを目的としているわけじゃなくって、本当に偽札作りそのものを楽しんでいるんだなと。
読みながら自分の仕事への姿勢について考えてしまった(笑)。

次は真保裕一『ホワイトアウト』読みます。

朝井リョウ『少女は卒業しない』を読みました。


結論から言うと、号泣でした…。
三月末から四月頭に読むのはダメです。
この時期のいろいろな別れが頭をよぎって感情移入してしまって切ない。苦しい‼︎

『少女は卒業しない』は取り壊される高校の最後の卒業式を、七人の少女の視点で描いた短編集です。

内容は正直言って陳腐だと思います。
少女漫画にありがちの、先生と生徒の恋とか、ちょい悪の男の子と真面目な女の子の幼馴染とか、送辞で告白とか、恋人の死とか。
よく描かれる割に「いやいや、現実でそれはないでしょ…」みたいなね。

そんなありがちな内容の小説なのに、こんなにも一頁ずつゆっくり読みたくなってしまうのは、避けられない別れの寂しさや希望みたいなものが文章から溢れ出しているからです。共感しかない。

ずっと変わらず一緒にいられるなんてことはないこと、別れはいつか絶対にやってくること、「またいつか会おうね」なんて言っても、結局二度と会えないこと、会えない生活にいつかはきっと慣れてしまう、それがすごく寂しいこと、そんな別れの心境が「卒業」に集約されていて、学生生活から離れて数年経つわたしでも胸が締め付けられるような思いでした…。

わたし自身、学生の頃の「卒業」で「別れ」をひしひしと感じることは実はありません。
いまはメールもSNSもあるし、会いたければ会えるでしょ、と思っていたし、何より会えなくなることが寂しくてつらくて耐えられないほどの人に出会ってきませんでした。
というか、ここでの問題は男女関係なんですよね。
友だちなら卒業してもいつでも会えるけど、わたしの場合、異性ってなかなか難しい。

むしろ社会人になってからの方が別れがつらいです。
お世話になった上司が退職したとき、友だちと違って、上司だし男性だし、今後連絡を取ることも会うこともそんなにはないだろうと思うと、悲しくてどうしようもない気持ちでいっぱいになりました。

『少女は卒業しない』の最初の短編『エンドロールが始まる』の中で、「この本を返したら、先生と生徒という関係さえなくなって、私は先生と正真正銘の他人になる。特別な理由でもなければ、毎週金曜日に先生に会えなくなる。それぞれ別々の、ふたつの春が始まってしまう」という文章があるんですが、これはこの話の先生と生徒の関係だけじゃなくて、すべての人間関係に言えることですよね。
いまいる場所から離れて、それぞれ別々の道に進むということはなんと寂しいことなのか。

このあたりの気持ちがわかりすぎて涙がとまらなくなるので、三月の別れを引きずっている人は是非読むといいと思うよ。

『桐島、部活やめるってよ』を読みました。


あああ~~~~~~高校時代のいろんな思い出が頭をよぎって苦しかったよおおお。
認めたくなかったんですけど、わたし朝井リョウさんの小説めっちゃ好きかもしれない。

高校の教室の雰囲気、何気ない会話、体育館の部活の風景、お昼休みのお弁当、全校集会、すべてが懐かしくてキラキラしているけど、あの「高校」という狭くて息苦しい空間を思い出して、もう二度と戻りたくないと悶えました。

あのときはあの教室がすべてで、そこでうまく馴染めなかったら全部が終わると思っていたし、そこで中心になることがステータスだったし、どこのグループに属するかは最重要課題だった。

わたしの高校時代は全然冴えなかったので、もうあんな息苦しいのはこりごりです…。
スポーツができたら「上」とか、ブスだったら「下」とか、制服を着こなせれば「上」とか、恋人がいれば「上」とか、いま考えるとめちゃくちゃくだらないし、そんなことで人を判断することなんてできるわけないのに、どうしてあの頃はそんな風に人をランク付けしていたんだろう。
わたしは「上」になりたい「下」の人間だったので、そのことを思い出して胸が苦しいです!

高校のときはわたしもすっかりスクールカーストに翻弄されていたので、クラスの中心になっているような男の子に憧れたし、「わたしそんなにブスじゃないし、がんばればいけるのでは?」とか思っていた。ぶん殴りたい。

小説の中の前田くんは冴えない映画部の男の子なんだけど、好きなものに熱心で誰よりも輝いていました。(映画を先に見たので前田くんは神木くんで脳内再生されています)
おそらくわたしが高校のときも「前田くん」みたいな人はたくさんいたはずなのに、目に見えることだけで判断して、その人の芯の部分を知ろうともしていなかった。
小説の中ではリア充の宏樹くんがそのことにハッと気がついて、わたしもこういう風にあのとき気がついていたらどんなに良かっただろうとすごく眩しかった…。

結局高校生の頃ってまだ子どもで、人を見かけとか人からの評価とか、そういったことでしか人を判断できない。…と思っていたけど、大人になったいまでもそういった判断ってまだ少し残っているんだよね。
わたしはすぐ「キラキラ女子め!」とか「Facebookでリア充アピールしやがって!」とか思ってしまうし、これも結局上辺だけでしか人を見ることができていないんだよなぁ。大切なものを圧倒的に見落としている気がする。

でも、大学生になって、社会人になって、そういった「上」「下」のランク付けから、多少は抜け出せたから、やっぱり大人になるってサイコーだよなと思います。
高校生はもうごめんだ。

ちなみに、映画の『桐島、部活やめるってよ』とは完全に別物でしたね。
いや、基本的には同じだけど、映画はラストのあのシーンがメインだから、そこが決定的に違うかな(笑)。
でも映画見て、原作も読んで、やっと映画のラストシーンがしっくりきたような気もします。初めて見たときは全然意味がわかんなかったので。

朝井リョウさんの小説完全に好きなので、引き続き別のも読もうと思います。

朝井リョウ『何者』を読みました。
心当たりがありすぎて読んでて旨が締め付けられるようでした。
就活とTwitterのあれこれの話ですが、朝井リョウさんは「あるある」の書き方がうまくって読みながら泣きそうでした。



あとがきで「『何者』という小説の魅力は、主人公の立場で感情移入し、安全な場所で傍観していた読書が、いきなり当事者になり変わるところだろう」と書かれています。
もう、まさに、これ!
このあとがきがすべてでした。

現代の就活とTwitterがメインの話なので、アラサー世代のわたしは読んでてしっくりくるけど、いまの就活生もまだギリで共感できるのかな。いまだとLINEも使われてると思うけど、この小説のときはまだメールです。

Twitter使ったことない人はポカンとなるだろうし、いまの就活(いわゆるESやウェブテスト、グループディスカッション等)を経験してない人もピンとこないであろう小説だけど、全部体験してるわたしとしては胸が苦しい!就活こわい!

わたしは就活のときTwitterまだ使っておらず、使い出したのは就活終わって卒論を書き始めた時期でした。
就活のときTwitter使ってなくて本当に良かったと心から思います…。
もしTwitterしてたらいらんこと検索しまくってその度に落ち込んでいただろうな。

いや、でもわたしが就活してたときはもちろんインターネットはあったので、ブログやmixiを見ていました。
就活してる人のがんばっている様子や内定決まった情報を入手するたびに、素直に喜んであげられなくて、落ちた人を見ては内心喜んで、自己嫌悪で本当につらかったな。

『何者』の中で、Twitterのサブアカをメアドで検索するシーンがあるんですが、そこは読みながら背筋が凍りました。
そういうことをやっている姿は小説の中の登場人物でさえ惨めに見えます。
そしてわたしも定期的にやっていた…。
いまはLINEなのでメアド知らない人が多いからやらなくなりました。ありがとうLINE。

Twitterに関しては実はわたしもサブアカを持っていた時期があった…。
前職を止める直前から、次の仕事が始まるまでの短い間でしたが、それはもう暗かった!
本アカでつぶやいても良かったんですが、知り合いもいっぱい見ているし、あまりにも暗かったから「わたしのつぶやきは毒だ…」と落ち込んでつぶやきづらくなっていました。
だけど結局何かつぶやかずにはいられなくて、暗いサブアカでぶつぶつ言っていたなぁ。
もうそのアカウントはありませんよ。

主人公が、かつての友人ががんばる姿を応援するのではなく、それが悪く言われているネット情報を見て安心する様子なんか、もう身につまされますね。
本当にすみません(土下座)。

主人公が仲良くしている先輩が「選ばれなかった言葉のほうがきっと、よっぽどその人のことを表しているんだと思う」って言ってて、わたしはウッと苦しくなりました。本当にそうですよね。
わたしはすぐにTwitterやFacebookに記載された言葉に惑わされて人を一括りにして判断してしまうけど、そんなに人って簡単に分類できるものじゃないよね。

「想像力」という言葉がこの小説のキーワードで、自分の「想像力」のなさに愕然とさせられました。
わたしもいつだって「何者」かになりたくてたまらないし、だけど人と自分を比べて、人を見下したって結局自分が動かなきゃ「何者」にもなれない。

定期的に読み返して、猛省します。



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